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『神曲』の英訳

ダンテ『神曲』の英訳はたくさんありますが、イタリア語の原文を理解する手助けにする観点で選びました。

Virgil guiding the narrator through Hell and Purgatory
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ダンテ『神曲』シリーズの記事です。

第 1 部

  1. 『神曲』のラテン語訳
  2. 神曲』の英訳 ← この記事
  3. 『神曲』冒頭の多言語訳
  4. 『神曲』冒頭をフレーズごとに音読
  5. 『神曲』の要約

第 2 部

目次

翻訳の方針

神曲』の英訳は大量にあります。Wikipedia にリストがあります。

何を目指すかで翻訳結果が大きく変わるため、これほどたくさんの翻訳があるのでしょう。

翻訳の方針は大まかに次のように分類できそうです。

  1. 意訳(ストーリー重視)
  2. 直訳(原文への導入とする意図を含む)
  3. 韻文訳(詩としての体裁を重視)
  4. テルツァ・リーマ(原文と同じ形式)

これらの要素は必ずしも相反するわけではありません。例えば以下の方針が考えられます。

  • 詩としての体裁を整えるために言葉を補うことで、結果として意訳の傾向を持つ(3. と 1.)
  • テルツァ・リーマに準拠しつつ可能な範囲で直訳を目指す(4. と 2.)

参考記事

どの翻訳を読むのが良いのかについて、翻訳の方針に着目することを勧める記事です。一部を翻訳して引用します。

10 年以上書店員をしていると、読者からよく聞かれる質問のひとつに「ダンテの『神曲』はどの翻訳を読めばいいのでしょうか」というものがあるのを知る。文芸書専門店の棚に並ぶ多数のバージョンを見たり、オンラインで異なる版を何ページもスクロールしたりすると、圧倒されることがある。翻訳者のアプローチや方法論について話すことは、この質問に対する答えの助けになる。

Mary Jo Bang 氏の斬新な翻訳の紹介で、Caroline Bergvall 氏の “VIA (48 Dante Variations)" への言及があります。これは原文 1 種類と英訳 47 種類の計 48 種類の冒頭 3 行を並べ、英訳を朗読したものです。テキストは PDF にまとめられています。

Link to the text + note. From original publication in Fig (Salt 2004). © C Bergvall. PDF.

VIA についての説明(翻訳して引用)

2000 年 5 月現在、大英図書館にはダンテの『地獄篇』を英語に翻訳したものが48種類収蔵されている。

詩人でありサウンドアーティストでもあるキャロライン・バーグヴァルは、それぞれの翻訳の冒頭部分を集めて、サウンド作品「VIA(48 Dante Variations)」を制作した。

バーグヴァルは、各翻訳の冒頭を読み上げ、翻訳者の名前と出版年を挙げる。その結果は力強いものだ。単調でありながら、各翻訳の微妙なニュアンスとバーグヴァルの催眠的に繰り返される音声によって、聴き手は次のダンテのセリフの描写を待ち望むようになる。この作品は、翻訳という芸術の本質的な複雑さを伝え、各翻訳者の仕事の独自性を照らし出している。

以下の資料では、日本語で『神曲』の英訳について解説しています。

直訳に近い翻訳

英語としての自然さには妥協して、なるべく原文と一対一で対応するように直訳します。

原文直訳
Nel mezzo del cammin di nostra vita
mi ritrovai per una selva oscura,
ché la diritta via era smarrita.
In the middle of the path of our life,
I found myself within a dark forest
for the right way was lost.

※ これを基にした訳文から多言語への機械翻訳を試みる記事があります。

この直訳に近い翻訳を VIA から探します。

  1. IN the middle of the journey of our life, I found myself in a dark wood; for the straight way was lost.
        (John A Carlyle, 1844)
  2. Midway in the journey of our life I found myself in a dark wood, for the straight road was lost.
        (Singleton, 1970)
  3. Midway on the journey of our life I found myself within a darksome wood, for the right way was lost.
        (Sullivan, 1893)
  4. Midway upon the journey of our life,
    I found myself within a forest dark,
    For the right road was lost.
        (Vincent, 1904)
  5. MIDWAY upon the journey of our life
    I found myself within a forest dark,
    For the straightforward pathway had been lost.
        (Longfellow, 1867)
  6. MIDWAY upon the road of our life I found myself within a dark wood, for the right way had been missed.
        (Norton, 1891)

これら 6 種類の翻訳を年代順に並べ替えて紹介します。

なお、このうち Longfellow, Norton, Carlyle の翻訳について、原文と並べた参考資料を用意しました。

John Aitken Carlyle (1849)

IN the middle of the journey of our life, I found myself in a dark wood; for the straight way was lost.

本のスキャンデータが入手できます。原文と翻訳が並べられていることから、原文への導入とすることが意識されているようです。

解説(当該箇所を翻訳して引用)

ダンテの偉大な詩の全編を英語散文で翻訳することを意図したこの本の第一弾は、1849 年に「ダンテの神曲、地獄篇、最良の版から照合した原文のテキストと注釈付き」として出版されたが、この本は、どんな面から見ても、ほとんど望まれることはないものである。序文には、ダンテを一人の人間として、また詩人として評価する記述があり、そこにはトーマス・カーライルの影響が顕著に表れている。序文に続く2つの付録は、『神曲』とその注釈者についての批評的文献目録への有益な貢献である。1867 年に改訂された第2版が出版され、序文ではカーライル氏が「煉獄篇」と「天国篇」の翻訳を含む 2 巻を追加発行することを述べている。しかし、その望みは課題のかなりの部分を実行に移したものの、達成されることはなかった。『地獄篇』の第3版は、第2版の復刻版で、1882 年に発行された。

「ほとんど望まれることはない」などとありますが、一定の評価は得ていたようで、他の人が手を加えた版が存在します。改変箇所が[]で示されているようです。原文と翻訳が見開きで対訳となっており、レイアウト的にはこちらの方が読みやすいです。

Henry Wadsworth Longfellow (1867)

MIDWAY upon the journey of our life
I found myself within a forest dark,
For the straightforward pathway had been lost.

デジタル化されています。原文はなく、翻訳のみの収録です。

解説(当該箇所を翻訳して引用)

真に成功した数少ない英訳のひとつが、ハーバード大学のイタリア語教授で詩人としても名高いヘンリー・ワズワース・ロングフェローによるものである。彼は1867年に『神曲』の最初の完全な、そして多くの点で現在でも最良の英訳のひとつを生み出した。ダンテは、1302年に愛するフィレンツェを追放され、若い妻を火事で亡くすというトラウマ的な喪失感を味わっていた。ロングフェローは、時にぎこちないほど直訳に近い翻訳で、ダンテのセリフの本来の輝きをとらえることに成功した。批評家ヴァルター・ベンヤミンは、優れた翻訳とは、たとえ我々がその外国語を話せなくても、作品の原語に注意を向けさせるものだと書いている。このような極端な忠実さは、原典が翻訳を異質なイメージに作り変えているかのように、翻訳の言語を不自然に感じさせることがある。

ロングフェローの英語は確かにイタリア語的である。ダンテのトスカーナ語の文字と精神に身を委ねることで、母国語の癖や特質をなくしてしまった。

訳者は有名な人物で、作品は今でも読み継がれているようです。(一部を引用)

ヘンリー・ワズワース・ロングフェロー(英: Henry Wadsworth Longfellow、1807年2月27日 - 1882年3月24日[1])は、アメリカ合衆国の詩人である。代表作に「ポール・リビアの騎行」 (Paul Revere's Ride) 、「人生讃歌」 (A Psalm of Life) 、「ハイアワサの歌」 (The Song of Hiawatha) 、「エヴァンジェリン」 (Evangeline) などがあり、ダンテ・アリギエーリの「神曲」をアメリカで初めて翻訳した人物でもある。
ロングフェローは存命中からアメリカで賞賛された人物であり、1877年の彼の70歳の誕生日はパレードや講演会、彼の詩の朗読会が行われ、あたかも国民の休日のようであった。最も愛された詩人の一人とも言われており、アメリカの最初期の「著名人」の一人である。
ロングフェローの作品は彼の時代には広い人気を集め、現代の批評家の中には感傷的に過ぎるという者もいるが、現代でもなお人気がある。その詩は親しみやすく、分かりやすい題材を扱い、平明で、流麗な言葉を用いている。ロングフェローの詩作品がアメリカの聴衆を作り、アメリカの神話を生むことになったのである。

Charles Eliot Norton (1891)

MIDWAY upon the road of our life I found myself within a dark wood, for the right way had been missed.

デジタル化されています。原文はなく、翻訳のみの収録です。

  1. The Divine Comedy, Volume 1, Hell by Dante Alighieri | Project Gutenberg
  2. The Divine Comedy, Volume 2, Purgatory by Dante Alighieri | Project Gutenberg
  3. The Divine Comedy, Volume 3, Paradise by Dante Alighieri | Project Gutenberg

第 1 巻の冒頭には翻訳の動機が述べられており、前述のカーライル訳への言及があります。(一部を翻訳して引用)

神曲』の英語版は数多く存在するので、新しい版は必要ないように思われるかもしれない。しかし、これらの翻訳のほとんどは詩によるものであり、現代人の知的態度は実質が形式のために犠牲にされるような変容に我慢できず、そして新しい形は元の形とは異なる。異なる言語における詩の条件は、詩の詩化された翻訳が原型の不完全な再現に過ぎないように、非常に大きく異なっている。それは、不完全な鏡のように、本質的な特徴がぼやけたり歪んだりして、部分的な似顔絵を描くようなものである。
英語では『地獄篇』の優れた散文訳がある。ジョン・カーライル博士は、彼の兄の『書簡』の読者にはよく知られた人物である。これは 40 年前に出版されたものだが、今でも十分通用するスタイルで、あらゆるニーズに応えることができる。もしカーライル博士が全詩の版を作っていたなら、私はほとんど新しいものを試みる気にならなかっただろう。『地獄篇』の翻訳において、私はしばしばカーライル博士に恩義を感じている。彼の翻訳に対する考え方は、私自身の考えとほとんど同じである。
私は、英語の良さと一致するような直訳を心がけ、ダンテ自身の言葉を、言語の違いが許す限り、ほぼ対応する言葉で表現するようにした。しかし、言葉に完全な意味を与える身近な用法や微妙な連想は、2つの言語では絶対に同じにはならないことを忘れてはならない。英語の love は、ラテン語の amor やイタリア語の amore とは、音だけが違うわけではない。そのため、どんなに巧みな散文翻訳でも、原文の意味を完全に正確には伝えられないことがある。

訳者は前述のロングフェロー訳にも関係していたようです。(一部を翻訳して引用)

チャールズ・エリオット・ノートン(1827 年 11 月 16 日 - 1908 年 10 月 21 日)は、アメリカの作家、社会評論家、ハーバード大学の美術教授で、ニューイングランドを拠点としていた。彼は進歩的な社会改革者であり、リベラルな活動家であり、同時代の人々の多くが彼をアメリカで最も教養のある人物とみなした。20 世紀の詩人 T.S. エリオットと同じエリオット家の出身で、彼はイギリスでキャリアを積んだ。
ジョン・ラスキンやラファエル前派の画家たちの影響を受けたヨーロッパ旅行の後、1851 年にボストンに戻り、文学と芸術に没頭した。ダンテの『新生』(1860 年と 1867 年)、『神曲』(1891-91-92、3巻、ノートンの最終編集版は 1902 年に刊行)を翻訳。
1864 年から 1868 年にかけては、ジェームズ・ラッセル・ローウェルと共同で、大きな影響力を持つ雑誌『ノース・アメリカン・レビュー』の編集に携わった。1861 年には、ローウェルとともにヘンリー・ワズワース・ロングフェローのダンテの翻訳を手伝い、非公式のダンテ・クラブを立ち上げた。
ノートンは、友情に対して特異な才能を持っていた。ノートンは、文学的な業績よりも、むしろ個人的な影響力で注目された。1881 年、彼はダンテ・ソサエティを発足させ、その初代会長はロングフェロー、ローウェル、そしてノートン自身であった。1882 年以降、彼はダンテの研究、教授の職務、そして多くの友人の文学的記念品の編集と出版に専念するようになった。

ノートン訳は、カーライル訳とロングフェロー訳の系譜にあると言えそうです。

Edward Sullivan (1893)

Midway on the journey of our life I found myself within a darksome wood, for the right way was lost.

本のスキャンデータが入手できます。原文はなく、散文で翻訳されているため小説のようなレイアウトです。

訳者は父親と同名のため注意が必要です。(当該箇所を翻訳して引用)

長男のエドワード・サリバン卿(1852-1928)は、1852 年 9 月 27 日に生まれ、エニスキレンのポートラ王立学校で教育を受け、TCD に進学した。父親と同様に優秀な学生で、BA を第一級の成績で卒業した(1876)。
1890 年代以降、『19 世紀』や『クォータリー・レビュー』などの定期刊行物に装幀とエリザベス朝演劇に関する学術論文を寄稿し、ダンテ『神曲』の翻訳(1892-3)や『サー・ウォルター・スコットの物語』(1894)などやや気まぐれな書物を出版した。

Marvin Richardson Vincent (1904)

Midway upon the journey of our life,
I found myself within a forest dark,
For the right road was lost.

本のスキャンデータが入手できます。原文はなく、翻訳のみの収録です。

シンプルで原文を直訳したような雰囲気ですが、少し気になる点があります。

上で引用した 3 行目の後に次の行の内容が続き、ダッシュで引用されたため 4 ~ 6 行目が原文とずれています。原文に忠実なロングフェロー訳と比較します。(他にも同様の個所あり)

Vincent Longfellow
1 Midway upon the journey of our life, Midway upon the journey of our life
2 I found myself within a forest dark,   I found myself within a forest dark,
3 For the right road was lost. Ah! what it was ―   For the straightforward pathway had been lost.
4 That savage wood, bristling and obstinate, Ah me! how hard a thing it is to say
5 Which in the very thought renews the fear, ―   What was this forest savage, rough, and stern,
6 How hard a thing it is to tell! so great   Which in the very thought renews the fear.
7 The bitterness, that death is little more. So bitter is it, death is little more;
8 But to discourse about the good I found   But of the good to treat, which there I found,
9 Therein, I will recount the other things   Speak will I of the other things I saw there.

訳者について(冒頭を翻訳して引用)

マーヴィン・リチャードソン・ヴィンセント(ニューヨーク州ポキプシー市 1834 年 9 月 11 日 ~ ニューヨーク市フォレストヒルズ 1922 年 8 月 18 日)は長老派の牧師で、『新約聖書の言葉研究』でよく知られている。1888 年からニューヨークのユニオン神学校で新約聖書釈義と批評の教授を務めた。

Charles Southward Singleton (1970)

Midway in the journey of our life I found myself in a dark wood, for the straight road was lost.

部分的にプレビューできます。原文と翻訳が並べられていることから、原文への導入とすることが意識されているようです。

著作権保護期間中のため、全体を読むには購入する必要があります。レビューを見ると、Kindle 版は原文と見比べるのには向かないようです。

訳者について(冒頭を翻訳して引用)

チャールズ・サウスワード・シングルトン(1909-1985)は、アメリカの学者、作家、文学批評家である。ダンテ・アリギエーリとジョヴァンニ・ボッカチオの専門家であった。1949 年に『新生についての試論』、1954 年に『ダンテ研究』(第1巻)を著した。また、ドイツの批評家エーリッヒ・アウエルバッハと同様にダンテ『神曲』の寓意的解釈を研究し、この著作は全 6 巻で英語にも翻訳された。イルマ・ブランダイスは彼の弟子の一人である。